閉鎖性からくる狂気
幼児虐待死、肉親殺し等、年始から早くも暗いニュースが世間を流れ始めている。
幼児虐待がこうも多くなってくると、やはりアメリカ型社会が日本に定着しつつある事を感じさせる。なぜなら、アメリカでも幼児虐待は昔から多発しているからだ。ロックスターが幼児期に虐待を受け、そのトラウマでロックやっているというのも珍しい話ではない。
肉親殺しに関しては、今ニュースで話題になっている渋谷での兄による妹殺害。なんでも、バラバラにした後、内臓を全てビニール製引き出しに入れておいたらしい。何とも残忍な印象を受ける。これに関しても、アメリカ型社会に到来を感じさせる。なぜなら、アメリカでは、残忍な犯罪が横行しているからである。
幼児虐待に関しては、やはり、親の人間としての成熟度が問題になっていると思う。何の覚悟もなく、親になってしまったばっかりに、子供の非操縦性に狂ってしまう。特に、若いカップルにおける、いわゆる「できちゃった婚」で出来た子供は要注意であると思う。
そして、私自身の感想として、こうした幼児虐待は、低所得層の人々において顕著なように見える。
というのも、ニュースなどで報道される幼児虐待をした人々の家や周辺環境を見る限り、公営住宅であったり、小さな一軒家であるケースが多いからだ。
自分の生活すら苦しいのに、子供に泣き喚かれると流石に忍耐の限界に達するのも早いかもしれない。
しかし、国は低所得層の人々には助けの手を差し伸べない。このまま、悪循環が出来上がるのは避けたい所である。
人口減少を憂う政治家は、こうした幼児虐待や、虐待死に対してどう思っているのだろうか?幼児を殺す事は、すなわち将来の日本の人口を担う人間を減らしている事だからだ。日本の政治家の資質を疑う。
そして、肉親殺し。親殺しに子殺し。そういった事件の背景には、閉鎖性が見て取れると思う。閉鎖的な空間の中では些細な事でも何かの発火点になりうる。気持ちが内省的になりがちだからだ。
今回の渋谷の兄による妹殺しも、妹の一言が兄をキレさせた。内省性も行き詰ってくると、現実味を失う。だから、死体をバラバラにしたり、死体を事もなく損壊できるマインドが出来上がってくるのだと思う。
安倍総理大臣は、「美しい国」作りを掲げて、自らの在任中に憲法改正を行うと明言している。その事は、一種の軽い鎖国のように私には見えるのである。「美しい国」=日本だけのもの、憲法改正=日本だけのもの、という図式である。
国を閉じれば、閉鎖性は増す。そうすると、益々日本は荒廃していくのではないか、と私は危惧する。
もう少し、外に向かって、積極的に歩んでいかなければ、そこに待っているのは狂気かもしれない。明るい未来は眩し過ぎる。
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